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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和54年(ワ)18号 判決

原告

新井源一こと朴鐘華

被告

前田正登

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告は「被告は、原告に対し、金一、九四三万四、六一四円及び内金一、八四三万四、六一四円に対する昭和五四年三月三日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と、金員の支払を命ずる部分について仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  原告は、昭和四八年三月二四日、午後三時四〇分頃、嘉穂郡穂波町天道三九六番地八先の国道二〇〇号線上で、これを横断中、北方飯塚方面から南方桂川町方面に進行中の被告が運転する軽自動二輪車(飯塚市さ二〇五一)に衝突して負傷した。なお、被告は、右加害車の所有者であり、自己のためこれを運行の用に供していた。

二  同所は、被告の進行方向に対して左側の車道の端から歩道にかけて軽四輪自動車が駐車していたので、被告はそのかげから歩行者が道路を横断することもある場合を考え、速度をおとしいつでも停止できるよう万全の注意を払つて運転すべき義務があるのにこれを怠り、漫然と時速約四〇km以上で加害車を運転した。そのため、駐車中の車のかげから原告(当時八歳)が、右道路の横断をはじめたのを数米の手前で発見し、停止又は回避の処置をとるひまもなく、加害車の前部を原告に衝突させた。

三  この事故で、原告は、脳挫傷、頭部陥没開放骨折、頭部裂傷の重傷を負つた。

被告は、その損害を賠償すべき義務がある(自賠法三条、民法七〇九条)。

四  本件事故により、原告は、昭和四八年三月二四日から同年六月九日まで七八日間飯塚病院に入院し、続いて同年一二日から昭和五二年三月までの間に実日数二〇日間、同病院に通院して治療をうけた。しかし前記傷害のため、気力低下等の精神障害が後遺症状として固定し、昭和五三年一月、後遺障害等級九級と認定され、将来服することのできる労務が相当程度制限されることとなつた。

五  損害

別紙損害一覧表の通り。

六  損害の填補

原告は、後遺症の補償として一三一万円の支払いをうけた。

七  よつて、原告は、被告に対し、前記損害額(但し弁護士費用を除く)から填補のあつた一三一万円を控除した一、八四三万四、六一四円とこれに対する履行期到来の後である本訴状送達の翌日(昭和五四年三月三日)から支払ずみまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金と弁護士費用賠償として一〇〇万円の支払いを求める。

と陳述し、抗弁に対し、

一  自賠法第三条但書による免責の主張を否認する。

二  過失相殺の主張を否認する。

三  弁済の抗弁も否認する。被告がその主張の頃、その主張の如き金員を飯塚病院に支払つた事実は認めるが、本訴ではその治療費は請求していない。

と答え、証拠として、甲第一号証、同第二号証の一ないし三、同第三号証の一ないし三、同第四、第五号証、同第六号証の一ないし一五、同第七号証の一ないし一七、同第八号証の一ないし九同第九、一〇号証、同第一一号証の一、二、同第一二号証を提出し、証人金子吉信、同鈴木高秋、原告法定代理人本人崔末子の尋問を求め、乙号各証の成立を認めると述べた。

被告は主文同旨の判決及び仮執行免脱の宣言を求め、答弁として、

一  請求原因事実一は、原告主張の日時・場所で、原告が、被告運転の軽自動二輪車(飯塚市さ二〇五一)と衝突し、負傷した事実を認め、その余は争う。

二  同二は、原告が駐車中の自動車のかげから道路を横断するために出て来て、これに被告の車が衝突した事実のみ認め、その余は否認する。

原告は、駐車中の車のかげから急に被告運転の車の直前にとび出して事故に至つたもので、被告に運転上の過失はなかつた。本件は、福岡地検飯塚支部で不起訴となつている。

三  請求原因事実三は、被告の損害賠償義務を争い、その余は不知。

四  同四のうち、入・通院関係は不知、後遺障害の主張は否認する。

五  同五は後遺障害の関係を否認し、その余は不知。

と答え、抗弁として、

一  被告が加害車両の保有者であるとしても、前記のとおり、本件は専ら原告の側の過失によつて発生した。被告は自動車の運行に関し注意を怠つていなかつたが事故を回避できなかつた。そうして、被告運転の自動車に構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。よつて、被告は、本件事故につき損害賠償の責任はない。

二  仮りに右主張が容認されないとしても、本件事故については原告が物かげからいきなり車道にとび出したもので、被害者自身及びそのような横断方法を厳重に禁止していなかつた両親にも重大な過失があり、これは損害賠償額の算定にあたつて十分に斟酌されなければならない。

三  被告は、原告の損害の填補のため、昭和四八年三月から七月までの間、合計一八万一、六二〇円を入院費として、同年八月から昭和五三年五月までの間合計二万四、七二七円を通院治療費として、夫々飯塚病院に支払つた。

と陳述し、証拠として、乙第一、二号証を提出し、証人梅津愛子、被告本人の尋問を求め、検証の結果を援用し、甲第二号証の一ないし三、同第三号証の一ないし三、同第一一号証の一、同第一二号証は成立を認めるが、その余の甲号各証の成立は不知と述べた。

理由

一  原告主張の日時・場所で、被告が軽自動二輪車(飯塚市さ二〇五一)を運転して通行中、駐車中の自動車のかげから道路を横断するため出てきた原告と衝突して、これを負傷させた事実は、当事者間に争いがない。

二  右の事実に、成立に争いなき甲第二号証の一、検証の結果、証人梅津愛子の供述に被告本人の供述をあわせると、事故現場は、北の飯塚市方面から、南の桂川町に通じる車両通行帯の幅約七mの舗装された国道で、北九州と久留米を結ぶ幹線道路の一つであり、車の通行量も多く、かつ両側は商店や住宅が並んでいる。道路は、事故現場を中心に前後約二〇〇mは直線であり、見通しもよい。道路は、中央線が表示され、かつ車両通行帯の両側に東側は約一・二四m、西側は約〇・八一mの幅で白線による路側帯が設けられている。本件事故当時、事故現場の道路東側(被告の進行方向にむかつて左側)に、車両通行帯の端から路側帯にかけて、訴外梅津愛子の運転する軽四輪自動車(ライトバン)が車庫入れのため後退すべく停止していた。そうしてその前方に、もう一台乗用車が駐車していた。この乗用車は、原告の母親崔末子の車であつた。被告は、軽自動二輪車を運転し、毎時四〇kmの速度で桂川方面にむかい、南行車線の中央付近を進行して本件事故現場を通過しようとしたのであるが、そのとき、先行車はなかつた。事故現場は横断歩道や交さ点ではなかつた。被告運転の車と停止していた訴外梅津のライトバンとの間隔は約一mであつた。本件事故発生直前の交通状況は以上の通りで、証人金子吉信の供述中、この認定に反する趣旨の部分は採用できない。即ち、金子証人の供述によると、原告(昭和三八年一二月七日生、当時九歳。)は、停止中のライトバンのかげから一歩踏み出したあたりで、被告の車に衝突されたようになつている。そうだとすると、被告は、前記認定より更にライトバンに接近して通過しようとしていたことになるが、前記の各証拠及びこれによつて認定した道路状態にてらしてそのようには認め難く、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。

三  次に、原告法定代理人本人崔末子、証人金子吉信の供述の各一部に検証の結果及び証人梅津愛子、被告本人の供述をあわせると、前記の駐車中の崔末子の車は、同所の訴外新井富夫(原告の父朴勝夫の兄)方前に停めていたもので、原告の母崔末子は、当時事故現場の反対側にあつた妹方の引越しの手伝いに来ていた。そうして、事故発生当時、崔末子は、事故現場と反対側の車両通行帯の端に立ち、訴外新井方の側に国道を横断するため、車の交通がとぎれるのを待つていた。原告は、知り合いの訴外金子吉信と二人で前記の訴外梅津のライトバンの前に立ち、母親の居る側に道路を横断しようとしていた。被告は、対向車線を進行して来る車は見ていたがその端に居る原告の母には気付いておらず、原告や訴外金子吉信の姿も、ライトバンのかげで見えなかつた。原告は、訴外金子吉信(当時一二歳位)と肩を組み、はしやいでいたが、訴外金子は、原告に「出たら危い」といつてこれを引きとめていた(前掲梅津証人の供述)。

そこで証人金子吉信の供述をみると、原告が一歩踏み出して右(飯塚側=被告の車が来る方)を見て、次に左を見ようと首を向けるときにあつという間もなく被告の車(おそらくハンドルかレバー付近)に衝突したというが、前掲各証拠からみて、若し原告がそのような確認をしたとすれば、間近に迫つていた筈の被告の車を発見しなかつたわけはなく、その年齢(当時小学校四年)からみても当然に危険を認識し得た筈である。しかるにその直後に本件事故が発生したことをみると、この点に関する金子証人の供述は採用できないというほかはない。

そうして、被告本人の供述によれば、被告の車が停止中の訴外梅津のライトバンと大体並ぶ位置に達しようとした際、そのかげから原告がとび出して、ハンドルやブレーキを操作するひまもなく衝突したというのであつて、以上認定の諸事情にてらして、この供述は措信すべきものである。なお、原告の母親崔末子は、事故発生の瞬間を目撃していない。

以上の通り認めることができる。原告法定代理人本人崔末子、証人金子吉信の供述中、以上の認定に反する部分は採用できない。他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

四  前項認定の諸事実関係を見ると、当時幼少というほどではないが少年の原告は、母親の居る反対側に行きたくて、つい安全の確認を忘れて道路上にとび出したものと認めるのほかなく、被告は、原告がとび出すまではこれを発見出来る状況になく、発見したときには衝突を回避する時間的余裕がなかつたと認めることができる。

そこで原告はこのような場合、運転者は車のかげから歩行者が横断することもあるので、十分減速し、いつでも停止できるよう万全の注意を払つて運転すべき注意義務があると主張するのであるが、横断歩道でも交さ点でもない本件事故現場で、しかも原告の姿も視認できない状況においては、この主張は採用できない。

五  してみると、本件事故は、専ら原告の側の過失によつて発生したもので、被告には特に交通法規や運転者としての注意義務に違反した事実も認められず、かつ本件は被告の自動車の構造上の欠陥又は機能の障害によつて発生した事故とも認められないから、その余の点を判断するまでもなく、本訴請求は失当で棄却を免れない。

六  よつて、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡野重信)

損害一覧表

〈省略〉

別紙 逸失利益の計算式

昭和52年「パートタイム労働者を除く労働者の年齢階級別きまつて支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」

産業計、 企業規模計

きまつて支給する現金給与額 97,500円

年間賞与その他特別給与額 320,700円

97500×12×1.05+320700×1.05=1565235

労働能力喪失率 35%

1565235×(25.2614-2.7310)×35/100=12342879

25.2614=ホフマン係数(昭和53年当時18歳を基準として67歳まで)

2.7310=ホフマン係数(同上 18歳まで)

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